「わさび事業」は進化する。
日本食のニーズに応え、消費者も生産者も笑顔に。 (前編)
- 香辛料事業部
- インドネシア
- わさび

INTRODUCTION
ユアサ商事時代から現在に至るまで、グローバルな供給体制を築き、業界の原料調達をリードし続けるヴォークス・トレーディングのわさび事業。
過去どのような歴史を紡ぎ、当社の看板商品として、いかなる方法で事業拡大を図っていくのか。事業の成長を支える社員の「わさび愛」にあふれた内容を、前編・後編に分けてお届けします。
PROFILE
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香辛野菜部 部長
佐藤 義一
2006 年にヴォークス・トレーディングへ入社し、FE 事業部でふかひれやタイ産缶詰コーン、洗米機の販売を担当。2008 年に香辛野菜部へ異動し、ホースラディッシュを中心に、わさびや他香辛野菜の営業業務に携わる。
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香辛野菜部
小西 知也
2015年にヴォークス・トレーディングへ入社。香辛野菜部への配属後、乾燥スパイスの通関業務や大豆の輸入業務に携わる。2018年から本わさびの担当となり、種子の調達から輸出入業務、営業活動まで全般を担う。
事業の歴史を紡ぐ、わさびの「プロフェッショナル」たち

ユアサ商事時代から続くわさび事業ですが、どのような経緯で事業が確立したのでしょうか。
- 佐藤
- わさび事業はもともと、からしの輸入から始まっています。そこから、ホースラディッシュそしてわさびの順に展開していきました。各メーカーさまとの取引もホースラディッシュから始まっていて、「わさびの国内供給が不安定になって困っている」とご相談をいただき、当社が動き始めたことがきっかけです。一方で、条件を満たす生産地を見つけるまでは、長い年月がかかりました。
- 小西
- 台湾からタイ、そしてインドネシアと各地の圃場を探したんですよね。
- 佐藤
- そうなんです。当社がユアサ商事だったころ、コネクションを活用して原料と加工所を確保し、台湾産のわさびを開発しました。しかし、台湾の国有林である阿里山で栽培されていたため、需要が拡大しても産地を広げることができず、供給不足になる可能性がありました。そこで、新たな産地を求めてタイでの開拓を試みました。目をつけたのはチェンマイ北部。1989年には現地法人を立ち上げましたが、タイ政府の政策転換による行政命令で、栽培撤退を余儀なくされました。
続いて見つけたのが、インドネシアだったのですね。
- 佐藤
- はい。1992年、ユアサ商事のメンバーがディエン高原を発見し、約2年かけて試験栽培を行った結果、わさびが育つと確信しました。1994年には、YUASA AGRO社(現JAVA AGRITECH社)を設立。翌年にわさびの収穫を開始し、2004年には農場と工場の一元管理体制を確立するなど、安全性と安定供給を保証できるようになりました。また、当社のわさび栽培は、インドネシアでの雇用の創出にもつながっています。
おふたりが入社されたのはヴォークス・トレーディングの設立後ですが、当時はわさび事業に対してどんな印象を抱いていましたか?
- 小西
- 私は2015年に入社しましたが、わさびはそれ以前から当社の看板商品ですし、私自身も内定時から“花形”というイメージを持っていました。特に、ヴォークス・トレーディングのわさび事業は、「種の調達から農園の管理、工場との連携まで、担当者がすべてを担う」点が特徴です。まさに“フ―ド・エンジニアリング”を体現する事業ですので、本わさびの担当になったときはとても嬉しかったですね。
- 佐藤
- この「商品担当制」は、当社の大きな強みになっています。私はホースラディッシュ担当なのですが、たとえば、ある会社から「ホースラディッシュとわさび、にんにくの3つを仕入れたい」と声を掛けていただいた場合、他社であれば担当者が1人で伺うところ、当社は私と小西くん、そしてにんにく担当の3人で商談に臨みます。各担当者が商材のプロフェッショナルなので、お客さまの疑問点や不明点にもすぐ答えられますし、商材に対して幅広く任せていただけている実感があります。
- 小西
- そのぶん、配属された当初は業務を覚えるのが大変でした。商談では役員の方々や社長と対話する場面も多いので、こちらが説明する内容を相手方の方がよく知っていた、なんてことも……。営業担当として自信を持てるまで、4〜5年かかりました。
- 佐藤
- 私は2009年からわさび事業に携わっていますが、小西くんと同じように、配属からの約5年間はまさに「修行」でした。特に覚えているのが、商談の際、お客さまが私ではなく先輩の名前だけを呼んでいたこと。「知識不足のままだと、お客さまに自分のことを覚えてもらえない」と気づき、ときには長いお付き合いのお客さまにも教えていたきながら、わさびのいろはを学んでいきました。その後、お客さまと対等な立場で話せたときの喜びは今でもよく覚えています。
これまでの常識を覆す発見が、マーケットの流れを変えた

インドネシア産のわさびには、どのような特徴がありますか?
- 佐藤
- わさびには水耕栽培でつくる「沢わさび」と、ハウス栽培でつくる「畑わさび」がありますが、熱帯性気候のインドネシアでは、後者のわさびをつくっています。一方、生鮮わさびとして取り扱われているのは、畑わさびよりも大きく、流通の基準以上にイモ(根茎部分)が成長しやすい「沢わさび」が主です。そのため、我々は「畑わさびでつくった商品は売れない」と勝手に思い込み、インドネシア産のわさびをすべて加工用として取り扱ってきました。しかし、その後の研究や市場調査により、我々がインドネシアで栽培する「畑わさび」は、生鮮わさびとして販売できるサイズまで大きくなることが判明。2020年になると、「インドネシアのわさびも、生鮮わさびとして販売できるかも」という仮説が浮上しました。この業界の常識を変えたゲームチェンジャーが小西くんなのです。
- 小西
- いやいや(笑)。会社に提言したのは私ですが、インドネシアでの生鮮用わさび栽培のヒントをくれたのは、日本のわさび業界の方々です。インドネシア産のわさびを見せたところ、「これ、生鮮と同じくらいのグレードだよ」と言っていただき、インドネシア産=加工用という固定観念が崩れたんです。そして、改めて生鮮用としてお客さまにご紹介したところ、日本産と比べて味の遜色がなく、手頃な価格のわさびとしてニーズが大幅に増えました。
- 佐藤
- 加工原料としてのわさびはどうしても価格がつきにくいですが、生鮮用となると、同じ産地でも付加価値が一気に高まります。また、世界的な日本食文化の定着も、わさびの流通量を大きく増加させていますね。これまでよりも多くの国で日本食レストランが出店され、その店舗一つひとつにわさびの需要がある。新しい販売方法を定着させることで、事業としてもさまざまなメリットが生まれています。
現地の生産者の方々とは、どのような関係を築いているのでしょうか。
- 佐藤
- インドネシアでの栽培を始めて30年以上が経ちますが、いつ訪れても和気藹々とした雰囲気で、良好な関係を築くことができています。親日国家ということもあり、フレンドリーな方が多いです。現地に行った際は、「このチームのために、自分も頑張らなきゃ!」と思いますね。
- 小西
- 私も初めて知ったときは驚いたんですが、インドネシアではわさびを食べない方も多いんです。そんな馴染みのない植物なのに、30年間もの間、愛情を込めて育て続けてくれている。わさびには、人を惹きつける力があるのかもしれません。
わさび栽培で苦労している点や現状の課題はありますか?
- 小西
- 現地の気候は、栽培において一長一短があると感じています。長所は、どの時期もわさびが収穫できる点。四季のある日本では、夏と冬にわさびの成長が止まるため、収穫までに1年半〜2年の期間を要します。反対に、インドネシアは年間を通じて気候が温暖なため、株が成長し続ける。その結果、収穫までの期間は1年と短く、植え込みも時期に関係なく実施できるんです。一方の短所は、品質の安定が難しい点です。成長を続けるということは、雨季のスコールや乾季の強い日差しにもさらされてしまうということです。土壌の改良など、少しでも病気の苗を減らせるよう研究を重ねています。
- 佐藤
- 生鮮わさびの需要が増えているぶん、減少する加工わさびの需要をどう喚起するか……というところに、最近は頭を悩ませています。そもそも、わさびは好き嫌いが分かれます。消費者の魚離れも進んでいます。さらに、若い方はお寿司を「さび抜き」にして食べている。最近ではわさび好きな仲間と「わさびを気軽に楽しんでもらうための企画」を一緒に考え、わさびのさまざまな可能性を考えています。(後半へ続く)